固定スペース

令和2年2月28日  刀、鬼普麿正俊(清麿弟子)

fullsizeoutput_88a.jpegfullsizeoutput_895.jpegfullsizeoutput_897.jpegfullsizeoutput_851.jpeg

刀 表銘=江府住岩井鬼晋麿源正俊

  裏銘=万延元年八月日於南総鶴牧作之(1860年) 

                                           2,000,000円                   

法量:刃長2尺0寸7分 反り5分 元幅1寸 先幅8分 

   元重2分8厘

形態:鎬造、三ツ棟、大切先(約6センチ弱)ふくら枯れ、

   鎬筋高く、独特な体配となる。

地鉄:板目肌に杢目交じり、所々流れ地沸つき、地景入る。

刃文:沸出来、互の目乱れ足太く入り、砂流し、金筋盛んに

   入る。刃区上、互の目頭に帯状の金筋を見る。古作

   志津兼氏写し風である。

帽子:乱れて入り、横手上、湯走り状かかり、小丸に深く

   返る。

茎 :生ぶ、鑢目筋違、先浅い栗尻。

時代・国:幕末(160年前)、武蔵。

拵え:黒石目地半太刀拵

   鍔:無銘 赤坂 鉄地 八景透

   目貫:赤銅地 金色絵 鳥に草花図

   揃い金具:赤銅魚子地縁金塗り(兜金、縁、鯉口、責金物、

        石突金物、栗形)

   柄:鮫皮、浅葱(アサギ)色糸諸撮巻き

 

 源清麿弟子、鬼普麿正俊の一振りである。正俊は文化11年(1814)

に総州関宿城主・久世広運(ひろたか)の八男として生まれた。後に

旗本岩井平左衛門克国の養子となり江戸、柳原に住んだ。野州鹿沼、

丹後宮津にも住むという。隆慶一郎の「鬼麿斬人剣」という小説の主

人公として正俊は登場しているのも興味深い事である。(後にテレビ

ドラマ化され、正俊は赤井英和、師匠の清麿は萬屋錦之助が演じてい

る)正俊の作品は少なく、安政、万延、文久、元治に集中ししており、

謎の一つだが、考えられる事は、正俊自身位の高い身分であったので、

余技として鍛刀していたと思われる。清麿の早い時期の弟子で、清麿

自刃後、大慶直胤、細川正義にも師事したようである。(茎仕立は鑢

目が粗く、少々反るところなど正義と酷似しているし、ふくらが枯れる

所は清麿一門の所作である)正俊の作風は個性的なものばかりというの

も正俊の人となりを表している。

 正俊は激動の時代を生き、元治元年8月新しい時代を見ずにこの世を

去っている。享年51才であった。

 

 特別保存刀剣鑑定書

fullsizeoutput_89b.jpeg

 満月写真をクリックすると拡大されます。