松寿軒 浜野矩随(花押)龍図の鍔の事を書いていきます。2代矩随(のりゆき、くずいとも読みます)は明和8年(1771年)江戸神田で、初代矩随の長男として生まれた。14歳より金工彫金を学び始め17歳にして政方、矩施と号す。23歳の時に師の遺言により矩随と改める。初代は奈良派で有名な浜野政随(しょうずい)に師事し、浜野派の豪快な彫法を学びながらも、天才彫金師、乗意(じょうい)の肉合彫(ししあいぼり)を研究して、これに色絵を施した柔軟な作風をつくり上げた。2代もこれを踏襲し、さらに精巧な高彫り色絵を得意として味のある名作を多く残した。この龍の鍔は造形が素晴らしい。彫金の基礎は絵画といわれるが、この鍔を見ているとなるほど理解できる。彫金技術だけでなく美的センスがないと出来るものではない。龍の顔は生きているようであり今にも動き出しそうな気配であり、皮膚のしわを三角タガネで表現するなど入念に作られている。爪、火炎、目の白目の部分を金色絵にしているが、爪等の部分を作ってはめ込むのであれば簡単であるが、職人芸とはいえない。薄い金を「かぶせる」ところに色絵技術のこだわりがあるのである。大きさもこれより大きいと(縦63ミリ、横49ミリ)大味になり下品になるし、小さいと貧弱になってしまう。もしかしたら江戸期の豪商の注文品であるのかもしれない。<武士階級の人達は刀(60センチ以上)を差せたが、商人59センチ以下の脇差しか短刀しか差せなかったので小さい金具に素晴らしい豪商の注文品がある>この鍔は四分一(しぶいち)地で作られているのだが、四分一地は堅く、彫るのには難しい地金であり、あえて四分一地を選ぶところにく矩随の心意気をよむことが出来る。

落語に「浜野矩随」とあり、矩随(2代)の話があります。皆さんも時間があれば検索して読んでみて下さい。矩随は江戸時代にすでに有名な彫金家であったのでしょう。

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親子三代、信用第一に美術刀剣の商いをして参りました。日本刀は日本にしかない芸術品であり、文化であります。
お客様のご希望をお聞きしながら、御刀、刀装具をご紹介できればと思っておりますので、まずはお気軽にお問い合わせ下さい。お客様のご来店を心からお待ちしております。 
柴田 和光

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