鐔 無銘 京正阿弥
売約済み
波の図 鉄地 竪丸形 文箱透 金象嵌 丸耳
縦75ミリ 横73ミリ
表面全体に波を彫り、左右に文箱を透かしている。
鐔、無銘 京透
35,000円
菊花に短冊図
縦81ミリ 横81ミリ
中国河南の元稹という白居易の親友で8世紀に活躍した人の漢詩(不是花中偏愛菊・此花開尽更無花)
が彫られていて、菊に対する慈しみの気持ちが表されている作品である。
鐔 無銘 埋忠(後代) ご売約済み
交叉文図 鉄槌目地 竪丸形 金銀象嵌 土手耳
両櫃孔(金内覆輪)
縦80ミリ 横76ミリ 厚さ4ミリ(耳)、3ミリ(切羽台)重さ175g
埋忠家は室町時代に起こった白銀師の集団である。仕事の中心は
ハバキを中心とする金具製作で、それ以外に刀・刀装具製作(鐔など)
刀の茎の磨上(金象嵌による銘の嵌入)、刀身彫等を受け持ち活躍
した。埋忠明寿(1558~1631)が有名であり、明寿の鐔が二枚重要
文化財に指定されている。この鐔は無銘ではあるが埋忠後代と鑑定
された一枚である。後代と言っても江戸中期の明寿の孫の宗茂、宗
義あたりでなかろうか。鉄味も古雅でよく鍛えられたものである。
櫃孔の金内覆輪も丁寧で古く、交叉象嵌も味があり、一流職人によ
るものであろう。侘び寂びを感じさせる埋忠鐔をお薦めする。
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鐔 銘=如雲斎弘寿(花押) ご売約済
猛禽狙猿図 於多福木瓜形 素銅磨地 鋤出高彫 据文象嵌色絵
小透 丸耳
縦64ミリ 横54ミリ 厚さ3,5ミリ 重さ75ミリ
打越弘寿は水戸・谷田部通寿の流れで、玉川吉長門人である。
同門に石黒政春がいる。弘寿は江戸神田にも住み、多くの金工
師達と交流を持ち腕を磨いた。色金の使い方が巧みで精緻をき
わめた彫りなど最高水準の力量である。そしてベースの肉置きが
丁寧であり、微妙な立体感を表現する術は天才的であろう。今回
の鐔の鷹・猿の体も微妙な「筋肉」の質感を1センチメートル四方
の中に彫り上げているのは驚異的でさえある。猿の恐怖に怯えた表
情なども妥協せず、パーツのひとつ、ひとつを丁寧に彫ることによ
り的確に表現している。猿の眼玉も黒目部分を盛り上げることによ
り、より一層凍りついた表情になっており、肉眼では見えない部分
も手を抜かず、力を注ぐこだわりが当時の職人魂だったようだ。「
技巧は芸術ではないが、技巧のない芸術はない」と言われる所以で
あろう。
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青貝微塵塗三分刻鞘脇差拵 ご売約済
[揃金具]百合図 素銅地 据紋高彫 金銀赤銅色絵
縁銘=慶応二丙寅秋七十七寿遊洛斎
頭銘=(金象嵌銘)赤文
鐺銘=(金象嵌銘)赤文
鐔=鉄地 銘=成龍軒栄寿(金印)雨龍紋散
目貫=猿候補月図 表=猿図 素銅地金色絵
裏=月図 銀地
鯉口、裏瓦、栗形、鐺は素銅地彫込象嵌金銀色絵。
小柄=無銘 糸瓜図 素銅地 据紋象嵌。
柄=白鮫皮着芥子蛇腹糸組上巻。
桂野赤文は寛政元年(1789年)桂雲軒定治の次男として生ま
れた。兄は鷺州、弟南山と称し共に金工家であり金工一家であっ
た。赤文は青年の頃に京都に入洛し、それを記念に自分の号を生
涯「遊洛斎」とした。酒井家のお抱え金工師となる前に江戸にも
遊学し、この頃儒者であった亀田鵬斎に学び多大なる影響を受け
たようである。鵬斎は豪放磊落な人物で化政期に文人サロンにて
風雅な遊びを谷文晁、大田南畝、曲亭馬琴、山東京伝、酒井抱
らと一緒に楽しんでいた。また、酒に浸っては書をものしたとい
う粋人で「みみず書き」の書で親しまれていた。このみみず書き
に惚れたのが赤文であった。江戸遊学後、赤文は独特のみみず書
きで銘を彫り始めている事でいかに鵬斎から影響を受けたか窺い
知れよう。鵬斎自身は越後に良寛和尚を訪ね意気投合してから字
がグニャグニャくねりだしたらしく、歴史の深みを感じずには
いられない。赤文は体が大きく髭を蓄え、風体異風で飄々とし
ていて「みみず書き」を地で行くような人であったようである。
この拵を眺めてみると、独特の雰囲気を醸し出していて個性的
でもある。特に縁頭の百合の迫力には圧倒されてしまう。当時貴
重な赤味の強い緋色銅(ひいろどう)を使い独特の造形美に仕上げ
ており、赤文ならではの作品であろう。また目貫も名工「安親」
風であり深みのある作品に仕上がっていて,つい少欲知足の言葉
を思い浮かべてしまう。水に浮かぶ月を取ろうとして溺れ死んで
しまう猿猴捕月のお話しである。赤文は金銭に執着せず、信仰心
厚く、また人情に厚い人柄であったようなので喜寿になるにあた
り、自らを戒めるためにこの目貫を使ったのではないだろうか。
鵬斎から学んだ人をくったような書きぶりの銘を生涯刀装具に切
り続けた粋人であった。
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ご売約済み
水流図 銀磨地 鋤き下彫 長90ミリ 幅33ミリ
幕末に流行した突兵拵の短刀鐺である。清流の流れるような、空気を
芸術的に表現している。表側は水玉を3つ、裏側は1つに彫り、華やか
な流れと、落ち着いた流れを巧みに表現していて、ごてごてと彫らず、
少ない彫りで、空間を表す様は天才、夏雄ならではの作品である。
上の写真、左側に載せた東京国立博物館蔵の夏雄の下絵帳には、鯉の
目貫と対に書かれているので、二所(ふたところ)としてつくられた
ようであるが、鯉の目貫はどこにあるか分からない。いつの時代にか
離ればなれになってしまったようである。
「日本の美術NO,111」夏雄と勝眠 P33所載品
「夏雄大鑑 剣具下図草稿」 p112所載品
特別貴重小道具(昭和44年10月)
担当:柴田和光
親子三代、信用第一に美術刀剣の商いをして参りました。日本刀は日本にしかない芸術品であり、文化であります。
お客様のご希望をお聞きしながら、御刀、刀装具をご紹介できればと思っておりますので、まずはお気軽にお問い合わせ下さい。お客様のご来店を心からお待ちしております。
柴田 和光